IE9ピン留め
木下勇 『ワークショップ』

ワークショップ―住民主体のまちづくりへの方法論

木下 勇 / 学芸出版社


あなたには「ワークショップ」に参加した経験があるだろうか。

「ワークショップ」とは、課題解決のために、参加者一人ひとりの知恵を引き出し、互いに意見を共有し、そこから新しい知恵を創造する方法論として、NPOなど「新しい公共」の担い手により、その活動場面などで幅広く使われている。従来、話し合いや会議の場と言えば、特定の人が話して、多くの人はただ聞くだけという形態が多かったが、ワークショップでは、話す/書く/手足を動かすなど、身体全体で感じ、発想し、提案するような主体的・能動的作業に、その場にいる誰もが参加できる。参加者/主催者の両者にとってまさに夢のような方法だ。

まちづくりにおいても、住民が主体となって知恵を出し合うために「まちづくりワークショップ」が行われている。しかし、その普及につれて、ある混乱も生じてきている。それは「ワークショップ=住民参加」という受け止められかたであり、ワークショップが住民参加の免罪符のように使われていることである。そうなると人びとは、大きな期待をよせて参加したものの、アリバイづくりに加担させられただけで、何ら変わらぬ現状により深い失望感を味わうことになる。

本書は、そうした誤用の流行に警鐘を鳴らし、ワークショップがそれを必要とする場でそれに適した形で提供されるよう、それが立脚する根本思想にまで遡って書かれたものである。とりわけ、著者は「ワークショップは特段新しいものでもなく、人類の知として蓄積されてきた集団の力を発揮する方法であり、そういった要素はありとあらゆる日常に本来見出されるもので特別なものではない」と力説する。

こうした前提の上で、本書は「まちづくりワークショップ」の事例、キーワード、Q&Aなどの基本事項から、場の進行役――「ファシリテーター」と呼ばれる――のノウハウに至るまで多岐にわたる話題を丁寧に掘り下げていく。本書をガイドに、まずは一度、ワークショップを体験してみよう。

(評:高野侑実)
# by plathome03 | 2010-02-25 20:44 | まちづくり
敷田麻実・内田純一・森重昌之[編]  『観光の地域ブランディング』

観光の地域ブランディング―交流によるまちづくりのしくみ

学芸出版社


山形県置賜地域を走る「山形鉄道フラワー長井線」は、経営不振から脱却するため、2000年より観光の振興に取り組んでいる。当初は、「置賜さくら回廊ツアー」や映画のロケ地となったブームで全国から大勢の観光客が訪れたが、どちらも一過性で終わり上手くいかなかった。しかし、2006年に観光客の声をヒントにした「方言ガイド」を列車内で始めたことで、着実に観光客の数が伸びた。さらに、各地域を結びつける役割をもった鉄道会社の特性を活かして沿線の自治体やNPOを巻き込み、参加型のまちづくりへ結びつけることに成功した。

本書では、観光を通じたまちづくり活動、すなわち「観光まちづくり」の進めかたについて、さまざまな事例の紹介とともに、新たな視点の提示がなされている。それは、地域の経済を維持し、住民たちが将来に希望のもてる収入を確保しながら、それと同時に、カネでは買えない仕事や地域への誇りをもって生きていけるようなまち/まちづくりを理想とするものである。

その実現にあたっては、四つの「働き」が必要とされている。それは、①地域資源の付加価値を高める「ブランディング」、②積極的に地域外へPRを行う「マーケティング」、③「観光客の受け入れ」をするためのしくみづくり、④観光を地域で維持していくための「地域資源への還元や再投資」である。これらは、互いに連動することによって効果が大きくなるため、それらのマネジメントを行う「中間システム」の役割が必要不可欠である。

前述の置賜地域の例だと、「山形鉄道」などが「中間システム」となり、①地域資源として方言や花に着目し、②プロモーションによって観光客を呼び込み、③鉄道利用客を受け入れ、④観光客との交流やそれによる新たな地域資源の発掘を得て、また地域資源へと戻る循環のプロセスができる。こうした関係性を軸に、地域内外の関係者が「よい関係」を築き交流していくことが、これからの観光まちづくりの成功の秘訣であると本書は説いている。

(評:高野侑実)
# by plathome03 | 2010-02-25 20:43 | まちづくり
赤池学 『あっ!! その手があったかモノづくり』

あっ!!その手があったかモノづくり―ランデヴープロジェクトの軌跡

赤池 学 / ウェッジ


アーティストと研究者、技術者、企業の出会いから生まれた、新しい時代のモノづくり、「ランデヴープロジェクト」。「仕方がない症候群」が蔓延する日本のモノづくりに、「その手があったか!」という処方箋を提案していくのがねらいである。ワコールアートセンターの全面支援のもと2000年に始まったこのプロジェクトは、「アートが参画するモノづくり」をテーマに、さまざまな立場の人びとが共同で製品開発を行い、その成果を発表する展覧会の企画を主な活動としている。

企業のマーケティングの論理のもと「早く安く売れるモノをつくる」というこれまでのモノづくりは、国内の町工場など製造業の空洞化を引き起こす一方で、物質的に満たされている現代の消費者の視点とも大きく隔たっている。「ランデヴープロジェクト」が提案するのは、生活者自身が、欲しいモノをデザインするモノづくりであり、自らの思いや技術を形にするアーティストとしてモノづくりに参加する「マイプロダクト」へ、生産と消費の流れを変えていくことである。

例えば、プロジェクトに参加したあるアーティストの作品「サンクステイル」は、道路を楽しくして交通事故を減らすとの意図でつくられた「感謝するしっぽ」のついた車である。そこでは、企業が及び腰な製品企画を実体化させてしまう戦略的なモノづくりを通じて、「必要なものを生活者の側から企業に提案する」という新しいモノづくりへの関わりかたが示されている。

あるいは、企業がもつ技術や製品に興味をもったアーティストが、ある程度長期にわたって工場に滞在し、一緒にモノづくりに取り組む「アーティスト・イン・ファクトリー」。この企画もまた、製造の現場を活性化させ、新しい製品が共同で開発されるなどの成果を上げている。

「ランデヴープロジェクト」が拓いた新しいモノづくりの可能性。それは私たち市民が、自らの手で自分たちの生活をリデザインしていく、新しい社会の姿をも描き出している。

(評:尾崎万里奈)
# by plathome03 | 2010-02-24 02:43 | 科学技術
原田正文 『子育て支援とNPO』

子育て支援とNPO―親を運転席に!支援職は助手席に!

原田 正文 / 朱鷺書房


子育て支援の主役はいったい誰なのだろうか。少子化対策の一環として行われてきた行政による子育て支援は、トップダウンの施策であるがゆえに、支援の意味や必要性が十分に認識されないままに行われてきた。その結果、草の根で活動してきた親たちによる子育てネットワークの発展を阻害してしまうなど、本当の意味で有効な支援になってはいないのが現状だ。

本書は、「親を運転席に! 支援職は助手席に!」をキーワードに、「市民主導型の子育てネットワークを行政が支援していく」という、新しい子育て支援のありかたを提案する。親たちが主体となって活動する子育てネットワークとそれを活用したグループ子育ての自主運営を行政が支援していく一方で、そうしたネットワークやグループ子育てに馴染めない親たちを専門職が積極的に支援する。親などの市民が主体となるネットワークは、親同士を結びつけるつながりづくりのような、行政サービスでは手の届かないきめ細かな領域にも配慮した支援を行う。

このように、市民と行政とが、それぞれ適した役割を担い、補い合う関係があって初めて「子育てしやすいまちづくり」が実現する。このことは、本書で取り上げられている日本各地の子育てネットワークの事例からも見てとることが可能だ。また、これらの団体の幾つかは、NPO法人格を取得することで、より継続的で自律した支援を行い、行政との連携をも強めている。子育て支援の領域において市民が主体的に活動する場を提供するという意味においても、NPOとしての子育て支援活動には注目が集まっている。

現代の日本における実現可能な地域社会の出発点は「悩みを軸とした人と人とのネットワーク」である、という著者の主張には頷かされる。子育てや介護といった共通の苦悩や不安を抱える人びとが、悩みを通じてつながってできたネットワークは、個別の課題を解決するための集まりを超えた、新しい地域社会のありかたそのものを提案しているのではないだろうか。

(評:尾崎万里奈)
# by plathome03 | 2010-02-24 02:41 | 子どもの健全育成
三宅理一 『負の資産で街がよみがえる』

負の資産で街がよみがえる―縮小都市のクリエーティブ戦略

三宅 理一 / 学芸出版社


空き家や空き店舗、廃校といった街の「負の資産」を、クリエーティブによって「正の資源」に逆転することは可能か。本書が問いかけるのは、縮小し衰退する日本の都市において、アートが果たす役割とは何か、ということである。

産業発展と人口膨張の時代が終わり人口減少に転じた2005年以降の日本社会。そこで顕著となってきたのが、都市の空洞化現象である。虫食い的に発生した遊休施設・住宅の存在が、不良資産として都市や地域の活力低下を招くという問題が日本各地で生じている。しかし、その要因を人口減少に求めるのは適当ではない。同じく少子高齢化の進むヨーロッパ諸国では、空洞化し、無用の長物のように見られた過去の建築物のリノベーションにより、新たな価値を生じさせる取り組みが、前世紀末には既に始まっている。日本における空洞化問題の本質は、縮小する経済のもとで自信を失い、将来の展望を描けないという閉塞状態へと内閉している点にある。過去の蓄積を生かし、同じものを何度も再利用するヘリテ―ジ思考への切り替えが、都市の活力回復には必要不可欠なのである。

そこで注目されるのが、既存のものに新しい価値を創造するクリエーティブである。例えば、少子化の象徴とも言える廃校をアートセンターやアトリエ、あるいは「アーティスト・イン・レジデンス」の拠点として活用するケースは、ニューヨークの廃校を活用したアートスペース「PS.1」での成功を筆頭に、国内外に数多く存在する。こうした例では、アートスペースとなった廃校の周囲にアーティストやギャラリーが移り住み、不良資産化していた空間が「正の資源」に転換するというような効果が生まれてきた。日本では特に、アートNPOが主体となった公設民営方式での廃校活用が主流となっている。アート×不良資産×NPOによって創造される文化資源が、閉塞する日本の都市をよみがえらせる鍵となるか。地域も巻き込んだ新しいまちづくりとしての展開が期待される。

(評:尾崎万里奈)
# by plathome03 | 2010-02-24 02:40 | 文化・芸術
平井愛山・秋山美紀 『地域医療を守れ』

地域医療を守れ―「わかしおネットワーク」からの提案

平井 愛山 / 岩波書店


医師不足により一つの病院の医療が崩壊し、その余波で同じ地域の他の病院の医療も破綻、ひいては地域全体の医療が崩壊する。2000年代半ば以降こうした「ドミノ倒し」的な地域医療の崩壊が日本全国で生じ始めている。地域の自治体病院から医師が去っていく医療過疎、医師不足による夜間救急の崩壊や過酷な勤務状況からおこる一斉退職、産科や小児科における医療現場の疲弊などは、近年マスコミでも大きく取り上げられてきた。地域の医療にとって必要不可欠な自治体病院が閉鎖するなど、事態は相当深刻だ。

本書が取り上げるのは、病院や診療所が機能を分担し、地域が「面」となって医療を行う「循環型の医療連携」とその電子ネットワーク化というやりかたで地域医療の問題に取り組んできた千葉県山武地域の医療連携「わかしおネットワーク」である。

この医療連携は、県立東金病院(千葉県東金市)を中心に、地域ぐるみの糖尿病治療の向上を目的に、2001年に始まった。糖尿病の悪化率が著しかった千葉県の山武地域にはそれまで糖尿治療のノウハウをもつ診療所がほとんどなく、県立病院がそれを一手に引き受けていた。これに対し、治療ノウハウを地域の診療所へ移転することで県立病院の負担軽減を図ろうと行われたのが、地域医療ネットワーク化である。地域の医療関係者が糖尿病治療に関する定期的な勉強会を行い、人的なつながりを構築。一方で、病院、診療所、薬局等を電子ネットワークで結び治療に必要な情報へのアクセスを確保する。「わかしおネットワーク」ではこの二つを柱に、地域全体で医療を支えていくしくみを提案している。

この「わかしおネットワーク」には地域住民らのNPO「地域医療を育てる会」が並走。地域住民、医療者、行政の対話とコミュニケーションの場づくりを通じて、地域医療への市民参加のありかたを模索している。

医療の崩壊は地域の崩壊、と著者は指摘する。私たち自身、地域の当事者としてそれに向き合う必要があろう。

(評:尾崎万里奈)
# by plathome03 | 2010-02-24 02:38 | 保健・医療
嶋崎吉信・清水直子 『がんばれ美術館ボランティア』

がんばれ美術館ボランティア

嶋崎 吉信 / 淡交社


本書は、美術館ボランティアの現状と課題、そしてその可能性についての考察をテーマとしたもの。美術評論家と市民活動を専門とするフリーライターによる共著である。

美術館には「学芸員」と呼ばれる専門職員がいる。資料の収集保管や調査研究から、ギャラリーガイド、監視、ワークショップ補助に至るまで、その業務は非常に多岐にわたる。

ところで現在、日本の公立美術館は瀕死の状態にあるという。経済低迷により自治体税収が落ち込み、予算が大きく削減されていることが原因だ。そんな中、人手不足緩和を目的に、お上から美術館へ、学芸員を補助するボランティアの導入要請が下る。

美術館側は、「美術館と市民との仲介役」と「生涯学習の振興」を謳ってボランティアを募り、そこへ「美術が好き」という一般市民が集まる。しかし、ボランティア側は、「美術の勉強になる」といった自己の関心充足だけで満足し、「教えて/与えて下さい」と能動的。学芸員側は、「お世話が大変、仕事が増える」と語るその一方で「自立した組織(圧力団体)になられては困る」と神経を尖らせる。合意不在のままボランティア制度が動いたことによる弊害、と著者はいう。

ズレを調整するために、とにかくまずは対話せよ、と本書にはある。その際、ボランティアは個々人ではなく、組織化してNPOとなり、責任ある態勢をつくるとよいとも。きちんと向き合い話し合うこと。また、「一人でも多く美術を鑑賞してほしい/美術館を応援したい」と意識を社会に向けることも大事だ。美術館側もまた、ボランティア・マネージメントやワークショップなどは、それが得意なNPOなどに委託し、外部から美術館を支援してもらう形をつくっていけばよい。それらが、本書から聞こえる声である。

本書の発行からもうすぐ10年がたつ。だが、美術館ボランティアの現状は、本書が書かれた当時とさほど変わっていない。その意味で、現在なお改めて読まれるべき一冊である。

(評:今村祐子)
# by plathome03 | 2010-02-23 23:58 | 文化・芸術
かながわ女のスペースみずら[編] 『シェルターから考えるドメスティック・バイオレンス』

シェルターから考えるドメステイック・バイオレンス

明石書店


「ドメスティック・バイオレンス」(通称「DV」)。既に私たちにもおなじみの語彙ではあるが、しかし、それの起こるしくみや現状、問題を解決する際の課題、そして被害者の駆け込み先の存在など、その実態をきちんと把握している人は稀であろう。

2001年に制定された「配偶者暴力防止法(DV防止法)」。その前文で「配偶者からの暴力は、犯罪となる行為をも含む重大な人権侵害である」と記載されるまで、行政によるDV対策は不十分なままであった。そうした状況下で、「女性の自立とたすけあいの精神をもって、女性による女性のための相談活動を行う」ことを目的に、1990年、横浜市にて設立されたNPOが「かながわ女のスペースみずら」である(2000年にNPO法人化)。

「みずら」では当初、電話相談を行っていたが、警察や入国管理局からの外国籍女性の保護依頼をきっかけに、1993年、DVなどさまざまな事情により行き場を失った女性や母子を保護し、安全を確保する避難施設――「シェルター」と呼ばれる――の運営を開始した。シェルターには、被害者を一時保護し一ヶ月程度の滞在を保障する「短期シェルター」と、短期シェルターを経た被害者がそこに滞在しながら自立を目指す「中期シェルター/ステップハウス」の二種類がある。「みずら」は四か所のシェルターを運営、うち二か所は短期シェルターに中期シェルターを併設している。

シェルターという視点からは、被害女性と子ども/加害男性の心境、被害者自立の際の法的/社会的な課題、問題解決に携わる弁護士や精神科医の存在など、DV問題の背景にあるさまざまな要因やその多種多様な関係者が一望でき、それらが決して家庭内だけの小さな問題ではないことがはっきりと理解できる。DVは、自分とは関係のないどこか遠くの問題ではない。それは私たちの社会の日常に宿っている。その現実を、本書は丁寧に教えてくれるだろう。

(評:小林美里)
# by plathome03 | 2010-02-23 21:50 | 男女共同参画
佐保豊 『日本のスポーツはあぶない』

日本のスポーツはあぶない (小学館101新書 20)

佐保 豊 / 小学館


日本のアマチュアスポーツの世界には、危険が満ち溢れている。勝利至上主義による技術指導の優先や科学的根拠なき根性論の強要などが横行。中には安全面を二の次にする指導者も多数存在し、事故発生確率を高めている。スポーツ中の事故で負傷・死亡する人が後を絶たないのである。

そもそも、なぜスポーツ中に多くの事故が発生するのか。それは、指導者や選手の知識不足やスポーツ施設の整備不良など、劣悪なスポーツ環境が原因である。逆に言うと、十分に避けることのできた事故でもあったわけだ。

そうした危険に警鐘を鳴らしているのが本書であり、著者は「NPO法人スポーツセーフティジャパン」代表である。彼は、国内外のプロスポーツ団体の「アスレティックトレーナー」を務め、スポーツでの安全確保の重要性を啓発する活動を行っている。

「アスレティックトレーナー」とはスポーツを行う上での安全・健康に関する最低限の知識とスキルを選手達に体得させ、事故を未然に防ぐのが目的の専門職である。事故が起きた場合には、診断や救急処置、リハビリなどを行う。常に安全面での対策を考え、組織づくりとその管理にあたり、万全の態勢を整える。

さらには、指導者、施設管理者、選手(保護者)の三者間の関係がスムーズなものになるよう、橋渡しの役目なども担う。これら三者が正しい知識をもち、協力し合い、情報を共有し、責任を分担することで、スポーツ中に事故の起こる確率は、限りなくゼロに近づく。こうした諸々をコーディネイトするのが、「アスレティックトレーナー」という存在なのである。

本書巻末では、元プロ野球選手の桑田真澄と著者の対談により、「いかに日本のスポーツがあぶないか」が理解できる。その準備や方法さえ間違えなければ、私たちは、スポーツを通じて実に多くのことを学ぶことができ、楽しみを得ることができる。事故が起きてしまってからでは遅い。その前にぜひ、本書を読むことをお薦めする。

(評:亀山勇樹)
# by plathome03 | 2010-02-23 21:48 | スポーツ・レクリエーション
「9条世界会議」日本実行委員会[編] 『9条世界会議の記録』

9条世界会議の記録

大月書店


本書は、2008年5月4-6日に行なわれた「9条世界会議」の記録である。世界中で紛争がおき、武器がつくられ、自然や人命が失われている。そうした現状を変えていくため、「武力に頼らず平和をつくる」という「日本国憲法」第9条の考えかたを、今こそ世界中に広めていこう。そんな思いで世界各地の市民が手を取り合い、世界中から日本に集まって開催したのが、この「9条世界会議」である。

本会議は、三部構成となっていた。「世界の希望としての9条」と銘打たれた第一部では、識者の講演やビデオレター/手紙の紹介、市民による合唱などが行われた。第二部「戦争のない世界を作る」では、国際交流NGO「ピースボート」によるダンスや講演、伝統舞踊、民族芸能などが披露された。そして、第三部「9ALIVE」では、シンポジウムやパネル討論、特設フォーラムなどが開催された。

収録されている言葉の中に、次のようなものがある。世界中の市民が求めているものは戦争による問題解決ではない。武器を置き、話し合うことによる解決である。多大な税金を武器や兵器に使う以外に、もっと別の、より有意義な使いかた――例えば、平和教育や人権教育――があるはずだ。「平和をつくる」というのは、戦争をすることよりももっとずっと頭を使う、創造性を要する行為であり、そうした力を育てていくことは、今後、私たち自身の手で平和を創出し、後世に残していくのに欠かせない作業である。

今回の会議に参加したのは、オーストラリア、ボスニア、カメルーンなど合計42の国や地域であった。開催された四会場それぞれの参加者数は、東京(幕張)15,000人、仙台2,500人、大阪8,000人、広島1,100人。「憲法9条」というテーマに、これほどたくさんの人びとが世界各地から集まったということ。この事実は、世界中の市民たちの間に、平和――話し合いによる、何一つ犠牲にすることのない平和――への願いが存在していることを、私たちに告げ知らせてくれるだろう。

(評:宍戸浩介)
# by plathome03 | 2010-02-23 14:22 | 人権・平和
小池直人・西英子 『福祉国家デンマークのまちづくり』

福祉国家デンマークのまちづくり―共同市民の生活空間

小池 直人 / かもがわ出版


本書は、福祉国家・デンマークに滞在経験のある著者らが、デンマークのまちづくりにおける具体的な社会実験や、それらの背景にある哲学を分析・考察したもの。他の北欧諸国とも違うデンマーク独自の理念について、まちづくりの実証研究(西)と社会哲学的研究(小池)という、二つの異なった専門分野を融合させ、デンマークの魅力的で理想的な共同市民社会がいかに成立してきたかを明らかにする。

序章にて著者(西)は、まちづくりにおける「まち」を構成する基本原理について、風土的要素、創造的要素、コミュニティの要素という三つの要素を挙げ、中でもコミュニティの要素を「現代のまちづくりにとって決定的に重要な要素だ」と説く。「まち」とは地域住民にとって、生活の共同の場であり、その維持・運営のために共同の意思決定を必要とする「政治の場」である。日本においても、生活に関わる諸問題については、町内会や自治会、学校・幼稚園など多様なつながりの中で話し合われており、それらを通して私たちは「まち」の構成員であることを確認している。もしこれらすべてがあらかじめ決められていたり、一部の人たちだけで決められたものであったりしたら、私たちはその「まち」に愛着などもてないだろう。「自分たちのことは自分たちで考え、話し合って決める」という、シンプル――しかし何より大切――なスタンスが、当たり前な風景としてデンマークには存在しているのである。

とはいえ、そこに関わる人たちに時間的・精神的なゆとりがなければ、ものごとを発想する余地は生まれない。社会制度として「生活のゆとり」をきちんと保証することが、まちづくりや自治・政治に主体的に関わる人たちを育てる必須条件であり、この「政治制度」と「地域住民」が互いに補い合ってまちづくりを進める姿こそ、私たち日本の市民/市民活動がデンマークから学ぶべき点である。

豊かさとは何か。改めてそれに向き合わせてくれる「デンマークの哲学」に、あなたもぜひ触れてみてほしい。

(評:松井 愛)
# by plathome03 | 2010-02-23 00:47 | まちづくり
第5回 編集会議

2月22日(月)17時より、山形大学人文学部市民交流室にて、NPO・市民活動入門ブックガイド『社会のつくりかた!(仮)』の第5回目編集会議を行いました。6名の方がたにご参加いただきました。未報告文献の原稿のたたき台を出し、そのチェックを共同で行いました。

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# by plathome03 | 2010-02-22 22:22 | 冊子編集会議
島村八重子・寺田和代 『家族と住まない家』

家族と住まない家―血縁から“暮らし縁”へ (春秋暮らしのライブラリー)

島村 八重子 / 春秋社


世間的に「両親と子どもから成る家族こそが完全」という規範が未だ強く残る現代日本では、父子/母子家庭や親/子のいない家庭は「不完全」、未婚者は「社会人として未熟」とみなされる傾向にある。しかし、人によっては、家族という共同体が自らの選択肢の幅を狭める煩わしい存在でしかない場合もあり、世間的な家族の理想形が誰にとってもそうだとは限らない。

本書では、住まいかたのオルタナティヴの一つとして「コレクティブハウス」に注目する。「コレクティブハウス」とは、必ずしも血縁関係にない人びとが共に暮らす共同住宅のことで、パーソナルスペースを確保しつつ、家事などの共通部分は入居者が相互に負担し合うという、私(プライベート)と共(コモン)それぞれの空間を兼ね揃えた住まいかたを意味する。そうしたコレクティブハウスが、各地のNPOにより運営されている。

例えば、「NPOコレクティブハウジング社」の支援下で誕生した賃貸住宅「コレクティブハウスかんかん森」(東京都荒川区)。20-70代と幅広い年代の入居者の中には、家族で入居している者もおり、その場合には、家事・育児などを他の入居者と分担することで子育て負担/不安を軽減できたり、子どもに対し多様な人びととの触れ合いの機会を提供できたりするなど、非常に良好な環境となっている。

または「NPO法人COCO湘南」が運営する高齢者住宅「COCO湘南台」の事例。そこでは、高齢者同士で共同生活を行う「グループリビング」を実践している。そこでは、仲間と共に取り組む地域活動や仕事があるため孤立することはなく、要介護となっても地域福祉とのネットワークがあるため安心して暮らしていけるという。これにより独居老人が陥りやすい孤独死も避けることができる。

本書が紹介する老若男女10名のコレクティブ・ライフ。そこに示された住まいかたの選択肢の多様さは、「家族」の呪縛下で苦しみあえぐ人びとに希望を与えてくれるだろう。

(評:小林美里)
# by plathome03 | 2010-02-21 22:51 | 福祉
小松澤陽一 『ゆうばり映画祭物語』

ゆうばり映画祭物語―映画を愛した町、映画に愛された町

小松澤 陽一 / 平凡社


「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」(以下「ゆうばり映画祭」と略記)は、北海道夕張市で1990年に始まった映画祭である。本書は、夕張でこの映画祭が開催されるに至った経緯や、映画人と夕張市民との交流、夕張市が財政再建団体となり中止に追い込まれた映画祭が、市民の手によって再開されるまでの過程を追いかけた一冊である。

「ゆうばり映画祭」は、映画をこよなく愛した故・中田鉄治元夕張市長が創設したイベントである。「スキー場×映画祭」という異色な組み合わせの「アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭」(フランス)を参考に、リゾート型映画祭として誕生した。

この映画祭は、アットホームな映画祭としても知られている。「映画祭はひとつのきっかけに過ぎません。ぜひ自分たちも楽しめるお祭りにしてください」――映画祭開催に関わった著者は、当時、行政の協力要請に受け身状態だった市民たちにこう言って回ったという。そして、市民たちによる参加者への熱烈な歓迎パフォーマンスに始まり、市民手づくりの作品が映画祭に出品されたり、市民有志による「ストーブパーティ」「10円カレー」のイベントが開催されたりするなど、「まるで、生まれ育った故郷に戻ってきたかのような」アットホームな映画祭に成長していったのである。

夕張市が国に財政再建団体申請を表明した2006年、市の主催・運営であった「ゆうばり映画祭」も中止となることが発表された。しかし、2007年2月には早くも、映画祭に関わってきた人びとなど、市民有志の手によって「ゆうばり応援映画祭」が開催され、2008年以降は「NPO法人 ゆうばりファンタ」が中心になって映画祭が再開されることになる。

2010年、「ゆうばり映画祭」は第20回目を迎えた。市の財政破綻という危機の中、映画祭を通して多くの市民活動が誕生し、市民ネットワークが構築されていっている。「ゆうばり映画祭」の物語はまだまだ続いていく。

(評:鬼島史織)
# by plathome03 | 2010-02-21 22:48 | 文化・芸術
NPO法人家づくり援護会 『建てる前に読む本』

建てる前に読む本―非営利第三者機関が提唱する新しい家づくりの発想

NPO法人家づくり援護会 / 作品社


いまや住宅トラブルは、一部の不運な人にのみ降りかかる災難とは言えない状況にある。杜撰設計、不良契約、悪徳商法、不正見積り、工事ミス、業者倒産、欠陥住宅など、その内容は複雑多岐。専門的な経験や知識がないと解決や防止が困難な問題ばかりだ。納得のいく家を建てるためには、施主と施工者の信頼関係は不可欠だが、それが崩壊している現状では、家づくりそのものが非常に難しいものになってしまっているのである。

では、それらに対する政策的措置はどうかと言うと、ほとんどとられていないというのが現状だ。官主導による施工検査は、どちらかといえば法規チェックや産業育成に重きが置かれ、実質的に欠陥住宅防止に役立っているとは言い難い。多くの人が住宅にまつわる疑問や不安を抱えているのに、安心して相談できる環境がないのである。

そこで、家づくりや住宅に関する悩みを抱えている人びとに対する相談・支援などを行っているのが「NPO法人 家づくり援護会」だ。主な活動は「利害関係をもたない立場で行う、相談・アドバイス活動/施工請負契約へのサポート活動/欠陥住宅防止を目的とした施工検査と記録の保存/第三者による住宅情報の管理、保存と維持管理の支援活動/セミナー、出版、設計添削、業者選抜などの啓蒙活動/皆物件・皆保証を理念とする新たな住宅完成保証(姉妹NPO)」である 。
これらにより、家づくりのプロセスから欠陥住宅の芽を摘み取り、技術的にも経済的にも、安心して家づくりができる環境を構築していくのがねらいである。その際、これらをNPOが行うことに意味があると彼らは言う。ポイントはその第三者的性格にある。消費活動においては、特に立場の弱い需要者の保護という点から、需給両者が公正かつ平等な関係をもてる場が必要であり、そうした第三者的な機能をNPOが果たしているのである。

家づくりに限らず、消費活動全般に応用可能な発想や知恵の詰まった一冊である。

(評:亀山勇樹)
# by plathome03 | 2010-02-21 22:45 | 経済活動・消費者保護
清水睦美・すたんどばいみー 『いちょう団地発! 外国人の子どもたちの挑戦』

いちょう団地発!外国人の子どもたちの挑戦

岩波書店


「すたんどばいみー」は、「いちょう団地」――神奈川県横浜市・大和市にまたがる、外国人住民が多いことで有名な団地――に暮らす外国人の子どもたちが自ら立ち上げ、運営する当事者団体である。本書は、この「すたんどばいみー」の人びとの言葉を中心に編まれている。ニューカマー問題の研究者でもある編著者は、日本で暮らす外国人の子どもたちの「生きにくさ」に関する日本社会の側の理解が少しでも深まることを願い、彼(女)らの活動を本にまとめることにした。

「すたんどばいみー」のメンバーに共通しているのは、「自分が何者か」という問題といつも向き合って生活しているということである。日本の学校に通う外国人の子どもたちの間では、その出自を隠すために自分の名前を日本名に変える者も多いという。そこには「日本人と同化していったほうが暮らしやすい」という意識が見え隠れする。しかし、「すたんどばいみー」の子どもたちは、自らの外国人としてのアイデンティティを自覚している。外国人問題を目にしたときも、自分が何者なのかを知っているのと知らないのとでは、そこに大きな力の差が生じると、彼らの一人は述べている。

とりわけ印象的だったのが、「日本社会で語られる「外国人問題」は「日本人の問題」である」という言葉だ。外国人だという理由でのいじめや、両親が日本語を苦手とするため家庭内でコミュニケーションが取れないこと。日本語をある程度話すことさえできれば、日本でも生活できるだろうと安易に考えていた筆者には、家庭内の問題など、考えもつかなかった。その意味で、外国人が日本社会で感じる「生きにくさ」がこれほどまでに根深いものだったかと改めて思い知らされた。

要は、外国籍の子どもたちが学習しやすい環境、居場所を整えていくことが重要だということなのだが、その第一歩として、まずは、これが「日本人の問題」であるという考えを共有するところから始めなければならない。本書はそれに最適の一冊である。

(評:佐藤香奈実)
# by plathome03 | 2010-02-21 08:42 | 国際交流・国際協力
大沢真知子 『ワークライフバランス社会へ』

ワークライフバランス社会へ―個人が主役の働き方

大沢 真知子 / 岩波書店


「ワークライフバランス」とは、会社ではなく個人が主役となり、仕事とプライベートとのバランスをうまく保ちながら両者をともに充実させていく働きかたや生きかたを意味する。本書では、日本における非正規雇用、所得格差などの問題に対処していくのに必要な発想として、ワークライフバランスの思考法が丁寧に紹介されている。失業者へのインタビューやヨーロッパやアメリカなどの積極的なワークライフバランス推進政策の事例などが豊富にあり、非常にわかりやすい。

この考えかたが注目される原因の一つとして、日本人の「働く」ことをめぐる意識の変化が挙げられている。本書によれば、以前は、高い職業的威信や高収入、高学歴、多くの財産をもっているか否かが基準となるような価値序列の中での地位達成を「働く意味」に据える人がほとんどであった。しかし近年では、若い世代を中心に「関係的な地位」の達成を求める人が増えているのだという。「関係的な地位」とは、家族から信頼と尊敬を得る、ボランティアやNPOなど、社会貢献的な活動の中で力を発揮する、余暇サークルで中心的役割を担う、などの場面で達成されるものである。このことは、若い世代の間で「ものの豊かさ」よりも「心の豊かさ」を重視する傾向が強くなっているということを意味する。仕事かプライベートかではなく、どちらも充実させたいという人びとの新しい志向。ワークライフバランスは、まさにそうした志向に合致した考えかたなのである。

会社で賃金労働(有給)に従事するサラリーマンの夫と、家庭で家事・育児・介護労働(無給)に従事する専業主婦の妻。こうした性別役割分業ならびに会社中心主義こそが、NPO・市民活動従事者を、お年寄りや主婦、学生など――正社員以外の人たち――に限定し、その活発化を妨げる障壁となってきた。とすれば、それらの解体を目論むワークライフバランスは、NPO・市民活動にとってもさまざまな貢献をもたらしてくれるはずだ。

(評:佐藤香奈実)
# by plathome03 | 2010-02-21 08:38 | 男女共同参画
松本恭幸 『市民メディアの挑戦』

市民メディアの挑戦

松本 恭幸 / リベルタ出版


近年、一般の市民が情報発信の担い手となる市民メディアの活動――市民参加型のコミュニティFM、パブリックアクセスや「住民ディレクター」によるテレビ放送への市民参加、インターネット新聞やインターネット放送による市民の情報発信、市民映像祭や市民上映会など――が各地で活発化している。しかし、その活動はまだ一部の市民に偏っており、一般の人たちの間ではまだまだ広がりに欠けている。

本書は、上記のさまざまな市民メディアの胎動とその課題、今後の展望などを概観したものである。中でも興味深いのが、メディア教育の事例だ。先の課題に応えるには、市民メディアの担い手育成が急務だからである。

例えば、吉祥女子高校(東京都武蔵野市)では、学生たちが「NPO法人西荻まちメディア」とともにアートメディアを活用した地域づくり活動に関わるというユニークな実践を行っている。授業の中で、実際に個々の店舗のシンボルマークやロゴマークを作成する事業に取り組み、その過程で商店街の人びととコミュニケーションを図ったり、取材やプレゼンテーションを行ったりと、メディアづくりを実地で学べるプログラムになっている。

または、東北大学大学院情報科学研究科メディア文化論研究室でのユニークな取り組み。そこでは、一般市民向けのメディアづくり関連講座「メディア・リテラシー・プロジェクト」を行っている。これは、学内でのメディアリテラシー教育・研究だけではなく、市民を相手に、メディアアクセス(メディアを通じた情報発信)の実践機会を提供し、市民メディアの担い手を育てることを目的としたものである。

とはいえ、メディア教育の現状は、専門教員が圧倒的に不足しており、ごく一部の学校の実践事例だけが目立っているというものである。市民メディアの発展にとって、メディア教育の果たす役割は大きい。学校外のNPOの取り組みにより、さらに多くのメディア教育実践が生まれることを期待したい。

(評:佐藤香奈実)
# by plathome03 | 2010-02-21 08:34 | 情報化社会
平田オリザ 『芸術立国論』

芸術立国論 (集英社新書)

平田 オリザ / 集英社


2001年に制定された「芸術文化基本法」。芸術家や文化人の社会的地位の低さや型にはまった文化行政を改革していこうとの意図が背景にあるのだが、その核心となる「文化権」に関しては、「文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることにかんがみ」との記述にとどまり、実現のための独自の条項は存在しない。これでは、すべての人間に文化創造・享受を保障しようという法律の趣旨に反する、不十分な内容と言わざるを得ない。この問題に、劇作家である著者が着目。今後の芸術文化のありかたについて、私たち市民が現在何をすべきか考察したのが本書である。

文化政策の最大の根拠は、憲法25条で保障された社会権、すなわち「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」にあると著者は言う。このうち、「健康」は制度的に保障されているのに、「文化」に関する政策は皆無に等しい。日本社会のこうした現状を変え「文化権」を確立していくにはどうしたらよいか。その解決案として、著者は、現行の健康保険制度に準じた「芸術保険制度」制定を提言する。実現すれば、芸術家や鑑賞者の負担は軽減され、地域ごとの芸術文化の享受の格差が生じることもなくなるのだ。

これまで、日本だけでなく海外においても数多くの公演やワークショップを行ってきたという著者。活動を続けるにあたって、公的な助成は不可欠だが、まだまだ不足しているのが現状という。同種の問題を抱える団体、個人は多い。これが、「文化権」の発想があれば、NPOへと位置づけを変え、公共性を意識した活動を展開することで生き延びていくことも可能となる。将来的には、芸術系NPOが自治体や文化財団、民間劇場などと並んで、芸術文化に関するサービス提供競争に参加できるようになることが望ましいとするが、現状はかなり困難である。

「芸術文化立国」創造の出発点、それは自国の文化政策の不備に対する市民の素朴な疑問から始まる。本書はその気づきの書となるであろう。

(評:阿部 恵)
# by plathome03 | 2010-02-20 16:12 | 文化・芸術
美馬のゆり・山内祐平 『「未来の学び」をデザインする』

「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体

美馬 のゆり / 東京大学出版会


「未来の学び」とは何か。本書では未就学児が日々の生活の中で活き活きと学んでいるように、大人もまた、学びを楽しみ、新しい知的探求の活動とすることができるはずだと考え、そうした学びを「未来の学び」とする。

私たちの社会は、「学び」ということに関して、さまざまな課題を抱えている。例えば、科学技術の著しい発達に、教育が全然追いつけていないということ。あるいは、社会レベルの効率化が進んだことで個人の創意工夫が不必要となり、その結果、個人レベルの効率化や熟達化が停滞してきたこと。
これらを乗り越える「未来の学び」を可能にしていくためには、そうした学びの環境を意識的につくっていくこと、すなわち「未来の学び」の環境デザインが必要だ。いったいどうすればそうした環境をデザインできるのか、そしてそのモデルとなる事例はあるのか――そうした問題を考える手がかりとして、本書は、空間、活動、共同体の三つの側面から考察を進める。

「未来の学び」が成立している場に共通する特徴とは、第一に、机の並びや配置、先生/生徒の位置関係などの空間設計が、参加者全てに居心地のよさを感じさせ、相互のコミュニケーションを促進するものになっているという点である。第二に、活動内容においては、目標地点が明快で、内容そのものに面白さがあり、しかも達成すべき課題が簡単すぎないものになっている点があげられる。そして第三は、そこに居るメンバーすべてに学びの目的が共有され、参加の機会や方法が保証され、その過程における情報が公開されていること、つまりそこで「学びの共同体」が成立している点にある。

学びの環境を理論化するという本書の試みは、従来、学校や企業、社会教育NPOなどの領域ごとの個別実践をもとに、それらの共通点を抽出し、体系化する形で進められてきたものである。本書の提示するデザイン・ツールをもとに、あなたもまた自らの周囲を「学び」の空間に変えてみてはどうだろう。

(評:佐藤央庸)
# by plathome03 | 2010-02-17 22:42 | 生涯学習・社会教育
佐倉統/古田ゆかり 『おはようからおやすみまでの科学』

おはようからおやすみまでの科学 (ちくまプリマー新書)

佐倉 統 / 筑摩書房


私たちは、朝起きてから夜寝るまで「科学」というもの――食物、家電、交通機関、娯楽など、私たちの日常を取り巻くほぼ全ての人工物に用いられている知恵や技術――に完全に依存して暮らしている。社会システムが複雑化し、高度に専門分化した結果、衣食住を始め、エネルギーや情報通信、果ては娯楽に至るまで、私たちの生活のあらゆる領域を科学技術が支えるようになったためである。

そもそも科学技術とは、人びとが幸福な社会生活を送るための試行錯誤の産物であり、それらを使いこなす主人公は私たちのはずである。しかし、それらは高度に専門化を遂げ、私たちの理解を遥かに凌いでしまった。こう言うと「専門家や技術者の製作物を使いこなすことさえできれば、私たち素人がそのしくみを知る必要などない」と反論されるかもしれない。しかし、BSE問題や原発事故など、近年頻発する「科学」の問題が、ある意味専門家任せによる人災の側面を濃厚に有していた点を踏まえるなら、「科学」の素人である私たちもまた、それらの背景やしくみを少しでも理解し、それをどう判断するかに関して考えをめぐらせる必要があろう。良い点(ベネフィット)と悪い点(リスク)、その両方を比較考量しながらつき合っていくこと。そうしたサイエンス・コミュニケーションの第一歩として重要なのは、まず「知ること」だと著者は言う。

そこで本書では、お米の種類が違うと何が違うのか、毎日使っている水道の水はどこから来てどう処理されているのか等など、日常的で理解しやすい話題をもとに、読者の日常生活と科学技術との意外なつながりが面白おかしく解説されている。そこにあるのは、生活者の目線から科学技術を考えることで、読者の生活をより豊かに、より快適に、そしてより安全にしたいとの思いである。この思考の社会化を目的に、著者たちのNPO「リビング・サイエンス・ラボ」が活動を展開している。本書に倣い、私たちもまた、サイエンス・リテラシーをあげていこう。

(評:佐藤央庸)
# by plathome03 | 2010-02-17 22:40 | 科学技術
山本繁 『やりたいことがないヤツは社会起業家になれ』

やりたいことがないヤツは社会起業家になれ

山本繁 / メディアファクトリー


「社会起業家」とは、社会におけるさまざまな課題をビジネス手法で解決しようとする人びとのこと。利潤追求を第一目的とする一般的な起業家との違いは、「社会にどれだけ強く影響や変化を与えたか」を成功の尺度にしているという点にある。この「社会起業家」は、やりたいことや表現したいこと、目標とするものがない人にこそ適している職種であると著者は語る。

著者もまた、学生時代に自分のやりたいことが見つけられずに就職活動をしなかったり、会社を立ち上げてはみたものの働く目的を見失ってしまったりしたことがあった。しかし、その挫折体験を起点に、「自分で何かを表現するよりも、表現したいことがある人のための場をつくっていく方が向いているのではないか」と考えついた。そこで、自分の得意分野を仕事に活かしたいというニートやひきこもり、フリーターなどの若者にニーズを見出し、彼らが専門性を身につけていくための環境づくりを行うNPO「コトバノアトリエ」を2002年に立ち上げた。

「コトバノアトリエ」は、中高生のための文章教室に始まるさまざまな事業を展開。例えば、文章力やコミュニケーション能力を養いたい若者のための「神保町小説アカデミー」、ニートによるニートのためのインターネットラジオ・プログラム「オールニートニッポン」、漫画家志望の若者のために東京でも格安の家賃で物件を提供する「トキワ荘プロジェクト」、そして中退・休学している学生たちのサポートを行う「日本中退予防研究所」。

中には赤字となりビジネスとしては成立しなかったものもあったが、若者たちのつながりの場や機会をつくり、参加した若者が作家デビューを果たすなどの成果を上げることができた。どの事業も、ニーズあるテーマから自分たちに扱えそうな問題をリサーチし、実現に向けて試行錯誤を重ね、小さな成果や失敗からの学びを積み上げることで拡大可能となったものだ。「社会起業家」の可能性について詳細に知りたい方に、お勧めの一冊である。

(評:小林美里)
# by plathome03 | 2010-02-17 22:38 | 職業能力開発・雇用機会拡充
西野博之 『居場所のちから』

居場所のちから―生きてるだけですごいんだ

西野 博之 / 教育史料出版会


学校信仰が根強く存在する私たちの社会。「不登校」の子どもたちに対する世間の差別意識や無理解――「不登校は怠け、甘え、逃げである」――により、当事者は自己肯定感を失い、未来が見えない絶望や不安に苛まれ、同種の圧力が家族にも重くのしかかる。

「不登校」の子どもたちとの関わりをきっかけに、彼(女)らがありのままの姿で居られる「居場所」が必要と考えた著者は、そうした空間を学校の外に求める「居場所づくり」の取り組みを1990年に開始、1991年には神奈川県川崎市のアパート一室に「フリースペースたまりば」――現在の「NPO法人フリースペースたまりば」の前身――を開設した。

「たまりば」では、いつ来ていつ帰るか、そこでどう過ごすか、誰と過ごすかは、訪れた本人が決めることになっている。やりたいことがあれば、企画として提案し、賛同した者同士で実行していくようなことも起こる。

こうした「居場所」のスタイルに、学校関係者や教育委員会からは「やりたいことだけやっていては子どもは育たない/遊ばせてばかりいる居場所は不登校を助長している」との批判がしばしばあがる。だが、学校の時間割のように、誰かが決めた行動計画は存在しないため、各自が自分で行動内容を決めなければならないし、その際は同じ空間で過ごす自分以外の他者にも配慮しなければならない。当然、自らの欲望に折り合いをつけなければならない場面も多い。ゆえに、彼(女)らは決してぼんやり無駄な時間を過ごしているわけではないし、そうした空間でしか学べないこともたくさんある。

現在では、この「居場所」の可能性に、「たまりば」開設当初には考えられなかった社会的な関心が寄せられているという。2003年からは、公設民営の「居場所」の全国初の事例「フリースペースえん」(川崎市子ども夢パーク内)の委託管理が始まった。「たまりば」の15年の歩みを綴った本書から、その可能性の一端を感じ取ってみてほしい。

(評:小林美里)
# by plathome03 | 2010-02-17 22:35 | 子どもの健全育成
キャリナビ編集部 『天職の見つけ方』

天職の見つけ方―親子で読む職業読本 (新潮新書)

キャリナビ編集部 / 新潮社


私たちの周りには、数多くの仕事が存在している。しかし、その仕事にはどんな人がどんなきっかけで就いているのか、その喜びは何かといったことについてはほとんど知られていないのが実情だ。就職や転職の際に、多くの人はその職業事情や業界実態も知らぬまま、仕事を決めてしまっている。

そうした情報不足を少しでも解消しようと、若者の進路支援NPO「キャリナビ」によって書かれたのが本書である。スタッフである大学生らが実施した「生き生きと働く大人たち」へのインタビューを通じて、仕事や職業の実際が、わかりやすく示されている。

「キャリナビ」は、さまざまな職業人にインタビューを行い、その成果をウェブサイト「この人がカッコイイ!(お仕事人事典)」で公開するという活動を行っている。1999年に発足、2004年時点でインタビュー人数は延べ300人を超える。本書はその掲載記事の一部を再編集したものだ。

とりあげられているのは、漁師、建築士、公務員、看護士などであり、全部で19人のインタビューが載っている。どれも、芸能人などの特別な職業ではなく、私たちの身近に存在する職業ばかりである。

彼らはみな、普通なら見逃してしまいそうなちょっとしたきっかけを大事にしている。たとえそれが些細なことであったとしても、自分の心に引っかかったことにはきちんと向き合い、それが疑問であれば最後まで追及していく。小さなことではあるが、それがキーポイントになっているのである。

こんな言葉があった。「人のもって生まれた才能なんて考えてみると、ちょっと絵が上手い、舌が肥えている、目が良い、数字に強い、耳が良い、人より多少辛抱強いなど、たぶんそんなものだ。大切なのは、そうした自分のもっているほんの少しの才能を見つけ出し、可能性を伸ばしていくこと」。その「ほんの少し」を見つけ出すためにも、「先輩たち」の働きかた/生きかたが役に立つ。本書を片手に、自分の「ほんの少し」を探してみよう。

(評:宍戸浩介)
# by plathome03 | 2010-02-15 01:23 | 職業能力開発・雇用機会拡充
関根健次 『ユナイテッドピープル』

ユナイテッドピープル 「クリックから世界を変える」33歳社会起業家の挑戦

関根健次 / ナナロク社


ウェブサイトを閲覧し、サイト上のアイコンをクリックするだけで、NGO/NPOに簡単に寄付ができる募金サイト「イーココロ」。協賛企業から支払われる広告費の一部が寄付金にあてられるため、利用者は自らの懐を痛めることもない。本書は、この社会的な寄付システムを立ち上げた若き社会起業家の自伝である。

著者がそうした支援活動をするようになったきっかけは、大学の卒業旅行でたまたま訪れたパレスチナ・ガザ地区の少年の言葉「僕の夢は爆弾の開発者になって、できるだけ多くのイスラエル人を殺してやることなんだ」に衝撃を受けたことである。

現在でこそ知名度が増した募金サイト「イーココロ」だが、その歩みは困難に満ちていた。26歳で有限会社を立ち上げたものの、初年度の寄付は2万円。とてもやっていける状態ではなかった。しかし著者は、サイドビジネスをしながら生活を支え、自らの熱意と目的を伝え続けた。やがて徐々に理解者や支援者、協力者が増え、2008年には「ユナイテッドピープル株式会社」として、2000万円以上の寄付が集まる企業に成長した。

著者の成功要因としては、意志の強さや日常の努力はもちろんだが、それに加えて、「師匠」と呼べるたくさんの先達との導かれるかのような出会いがある。カザ地区の病院で働いていた医療ボランティアの女性、起業を後押ししてくれた元勤務先の会社社長、そして出資者兼アドバイザー的存在の先輩企業経営者。こうした出会いこそ、「人と人とをつなぐこと」をビジネス化した「イーココロ」の原点である。個人、企業、国家を超えた「地球益」のためというその取り組みは、現在「署名TV」、映画配給など、さらに幅を広げつつある。

会社名でもある本書のタイトルは、「人と人との連携」を意味する。同じ意志をもった人と人とがつながり合えば、活動の輪が広がり、思いを形にしていけるのだということを実感できる一冊である。

(評:小林みずほ)
# by plathome03 | 2010-02-14 23:19 | 市民活動支援
長坂寿久[編]  『日本のフェアトレード』

日本のフェアトレード

長坂 寿久 / 明石書店


フェアトレードとは、途上国の生産者と先進国の消費者とが対等なパートナーシップを結んで直接取引を行うこと。本書は、そうしたフェアトレードの入門書であり、フェアトレード団体の索引ともなる一冊である。

第Ⅰ部では、フェアトレードの歴史やその基準、その市場は日本ではどの程度発達しているのか、企業や政府には何ができるのかなど、フェアトレードに関する一連の知識、情報が提供される。著者は、拓殖大学国際学部教授で、日本のフェアトレード研究の第一人者。フェアトレードの世界的な動向から日本の現状まで、思いの込められた解説がとてもわかりやすい。

第Ⅱ部では、フェアトレードに関わる12の団体が、それぞれの活動の経緯や拠点、取り組み、そしてその成果を紹介している。最初からフェアトレードを目的としていたのではなく、他の支援活動から転じて、生産者の自立を目指しフェアトレードを始めた団体が多く、現在に至るまで、相当の努力や工夫を重ねていることがわかる。

そして第Ⅲ部では、日本のフェアトレードショップ8店の代表が、同様に第Ⅳ部では、日本のフェアトレード情報ネットワークを有する5団体が、フェアトレードへの理解を呼びかける。

本書を通して私たちは、フェアトレードが、開発途上国の農民や零細生産者の自立を目的として活動する、NGO活動とビジネス活動とが統合された市民運動の一手法であることを実感できる。本書で紹介されている団体は、扱う製品や方法は異なるものの、現在の貿易のしくみが経済的にも社会的にも弱い立場にある開発途上国の人びとにとっては「アンフェア」なものであり貧困を拡大させるものである、との問題意識をもち、その不均衡を正そうと活動している点で共通している。

本書によれば、全ての地域にフェアトレード団体が存在しているわけではない。フェアトレードを現在以上に普及、浸透させられるかどうかは、私たちが、第三世界の人びとへの想像力をどれだけもてるかにかかっている。

(評:小林みずほ)
# by plathome03 | 2010-02-14 23:17 | 国際交流・国際協力
嵯峨生馬 『地域通貨』

地域通貨 (生活人新書)

嵯峨 生馬 / 日本放送出版協会


「地域通貨」と聞いて筆者は、「定額給付金」の恩恵(?)のもと、ここ半年の間にあちこちの自治体で流通した地域振興券を最初に思い浮かべた。しかし、本書が扱う地域通貨は、法定通貨である「円」の代わりを果たすだけといった消極的なものではなく、人やモノやサービスを循環させることでコミュニティを活性化させようという戦略的なツールであった。さまざまなNPOが、コミュニティづくりや市民活動支援の一手法、あるいは地域内の経済活動活性化の一環として地域通貨を流通させている。

本書は、第一章でまず地域通貨の概要としくみを概観。続く第二章では国内外の先駆的事例を紹介。さらに第三章では、著者自らが中心として関わる東京・渋谷の地域通貨「アースデイマネー」の立ち上げや現在までの経緯、今後の課題などが記されている。

毎年4月22日に10万人を超える集客のある環境イベント「アースデイ東京」とリンクさせている点もユニークだ。そこでは、一日限りのイベントを、長期的視野の下で営まれる日常活動に結びつけるヒントが、地域通貨というしくみにあるように思える。

続く第四章では、「地域通貨の「戦略的」活用法」と題し、地域活性化やNPO/行政の協働などに関する著者のコンサルティング能力やその見識を活用。地域通貨がその内に秘める潜在的な可能性を示唆する。

地域通貨には、「貨幣」――人びとが価値を交換するために便宜的に合意提供した共通のものさし――の原始的なメカニズムが内包されている。なぜそれらが今、注目されているのか。通貨を手づくりできる面白さというのはもちろんだが、一方でそこには、問題意識を同じくする者同士が手を取り合い、国や自治体に頼るばかりでなく、地域主体で自分たちにできることを考え、実践するという姿勢が映し出されているように思える。地域通貨運営に直接関わる者でなくとも、本書が示す地域活性化の戦略は、NPOに関わる者には参考になろう。

(評:小林みずほ)
# by plathome03 | 2010-02-14 23:15 | 経済活動・消費者保護
加藤哲夫 『市民の日本語』

市民の日本語―NPOの可能性とコミュニケーション (ひつじ市民新書)

加藤 哲夫 / ひつじ書房


一般に、会議の場では声の大きい人の意見ばかりが通りやすい。声の小さい人、発言が苦手な人は、その場にはいるけれど「参加」はしていない。疑問や不満が積み残されたまま、多数決で何かが決定され、「合意」がつくられていく。小学校の学級会のように。

会議の場でのこうした構図は、日本社会における行政と市民の関係そのものである。「お上」が決定し、よくわからぬままそれに従う私たち「下々」の市民。たとえ「下」から不満が出たとしても、ガス抜きに利用されたり門前払いされたりするのがオチだ。

そうした「届かぬ声」を、目に見える形にして行政に届けたり、または自分らで対処したりするのがNPOの活動であり、そうした声を拾う手法として、NPOの現場で幅広く活用されているのが「ワークショップ」である。

「ワークショップ」とは参加型の学びの場のこと。学校の授業のように知識を一方的に与えられる場とは違い、誰もが参加し、他者との交流や共有を経て、それぞれに気付きを得られるよう工夫された学びの空間である。そうした場からは「新しいコミュニケーション」が生成すると著者は語る。
例えば、ポストイットなどに自分の意見を一つひとつ書き、それらを共通するテーマごとに分類して、誰もが目に見える形にし、参加者全員が共同で論点整理などを行う「KJ法」。場を回すファシリテーター(場の司会・促進役)は、出てきた意見を決して否定しない。そうすることで、声の小さかった人は自分の声が受けとめられ、参加の実感をもてる。また大きすぎる声が出ることもない。自分とは別の視点にも気づける。見えなかったものが見えるようになること、視野が広がる体験を重ねることが、人と人とがつながり、声をあげ、そしてNPOへと結晶化していく出発点になるのである。

著者は、中間支援NPOの草分け的存在「せんだい・みやぎNPOセンター」の代表理事。本書には、そんな著者の、現場発の思考や発想のエッセンスがぎっしり詰まっている。

(評:今村祐子)
# by plathome03 | 2010-02-13 22:41 | 市民活動支援
鬼丸昌也 『こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した』

こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した

鬼丸昌也 / こう書房


著者は、高校三年時に、スタディツアーでスリランカを訪問。そこで、貧富の格差や内戦の傷跡と闘っている人びとを見て、観光気分が吹き飛ぶ。そこで出会ったのが、スリランカのNGO「サルボダヤ・シュラマダーナ(労働の分かち合いを通じてのすべての目覚め)」の創始者、A.T.アリヤラトネ博士だった。博士曰く、「すべての人に未来をつくる能力(ちから)がある」。著者はこの言葉に感動、自分にも世界に対して何かできることがあるんだと、強く思うようになる。

その後、大学四年時に、参加していたNGOでカンボジアに行き、地雷被害の現状を知る。自分にできるのは、見たありのままの事実を伝えることだと考え、日本で講演活動を始める。こうして著者は、世界を変えるために一歩を踏み出すのである。2001年には「世界平和の実現=すべての生命が安心して生活できる社会の実現」をミッションに掲げるNGO「テラ・ルネッサンス」を設立、その理事長となる。

「テラ・ルネッサンス」の主な活動の一つに、カンボジアでの地雷除去支援がある。カンボジアは長い内戦の影響で社会全体が疲弊している。内戦の際に埋設された地雷の被害者が後を絶たず、復興の妨げになっている。そこで、地雷除去のための資金を集めて提供したり、地雷被害者の生活再建を支援したり、女性義肢装具士を育成するべく奨学金を支給したりといった多角的な支援活動を行っているのである。日本での講演・啓発活動は、そうした現場での体験や調査をもとにしたものだ。この他、ウガンダやコンゴにおいて、元子ども兵の社会復帰支援事業などをも展開している。本書は、そうした「テラ・ルネッサンス」の七年間の歩みをまとめたものだ。

すべての人に未来をつくる能力(ちから)がある――ずっとこの言葉だけを信じて「テラ・ルネッサンス」の取り組みを続けてきたと語る著者。思いや行動を積み重ねていくことで世界が変わっていくという事実を、ぜひあなたもその目で確かめてみてほしい。

(評:亀山勇樹)
# by plathome03 | 2010-02-13 22:39 | 国際交流・国際協力
白石草 『ビデオカメラでいこう』

ビデオカメラでいこう

白石 草 / 七つ森書館


本書は、インターネット放送局を運営するNPO法人「Our Planet-TV」の設立・運営に関わった著者による、市民のためのドキュメンタリー制作入門ガイドブック。

かつてテレビ局に勤めていたという著者は、映像作品はプロがつくるものと思っていたという。しかし、インターネット放送局の設立・運営の経験を経て、その考えは大きく変わる。開局当初は、プロのビデオジャーナリストを中心に番組を制作・配信していたのだが、やがてそこに学生や市民が参加することで、映像作品の幅が拡大。現在では、マスメディアが扱わない、しかしながら社会的に重要なテーマを扱った市民目線のドキュメンタリーを数多く配信する、貴重な市民メディアとなっている。

日本における市民のメディアとの関わりは、マスメディア発の情報を一方的に受信するだけにとどまりがちだ。とりわけテレビに関しては、情報発信を在京キー局が独占し、スポンサー企業の意向のもと、視聴率獲得を主な目的とした番組制作・配信を行うという構造が露骨に存在する。私たち市民は財界が望まない情報に触れることもできなければ、自分たちに必要な情報を発信することもできない。

しかし、海外の様子を見てみると、公共物である電波に関しては、それを発信する権利もまた全ての市民に等しく保障されるべき、との考えかたが一般的だ。アメリカではこれを「パブリックアクセス」と呼ぶ。他にも、ナチズムへの反省からメディアの多様性を法律で保障するドイツ、移民への配慮からマイノリティ番組への助成制度を有するカナダ、長期化した軍部独裁政権への反動からメディアをめぐる市民運動が活性化した韓国など、メディアへのアクセスを市民に保障しようとの動きが各国でさかんだ。

本書の「ドキュメンタリー制作のススメ」は、そうした動きを、私たち市民が、草の根で実施していくためのガイドである。社会を変える力は、私たち市民がつむぐ映像に宿るだろう。

(評:滝口克典)
# by plathome03 | 2010-02-12 21:40 | 情報化社会
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NPO・市民活動入門ゼミ
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